POLICY 私の想い
みんなが笑顔で過ごせる、そんな街にしたいと考えています。
「これまで」と「これから」をしっかり繋いでいきたい
私は桶川に生まれ、桶川に育ち、そして現在も桶川で仕事をしています。私の子供のころから比べると、道路も整備され、高速道路もでき、地元にインターチェンジまで開通し、圏央道を経由して中央道、東名道を利用し富士山へ、また東北道から都内へ向かい千葉、神奈川に向かうのも、そして関越道で新潟に行くのも、長野に向かうのもスムースになり、山に、川に、海に、それから海外へ行く際の成田空港へも。どこに行くにもとても便利になりました。これはもちろん、桶川が持つ魅力があってこそ実現した利便性だと思います。
その桶川をこれまで長年支えてきたのは市民の皆さんの尽力です。
私のおじいちゃん、おばあちゃんの代から。もっともっと前から続く桶川の先人達の想いがあってこその成長だと思います。
こうした人たちの想いを正しく受け継ぎ、そして私たちの子や孫の世代、そしてもっと先の世代へ、強い想いを持って繋げていきたいと考えています。
協力と共存こそ安全で、楽しく、住みやすくできる
こうした先人たちの想いをさらに桶川に根付かせ、実現させるために「私にも何かできないか?」と思いました。幸い、私は生まれ育ったこの街で地域の皆さん、そして川田谷という地域を越えて桶川市内でたくさんの友人・知人と出会い、中学生から始めたラグビーを通してチームワークの大切さ、大学で学んだ経済学、一般企業に勤めて身につけた商売の難しさとノウハウ、地元の学校でのPTA会長としての役務、それから商工会や建設埼玉の活動から培った経験を、この桶川のために活かすことができるのではないか、と感じたのです。
とはいえ、自分一人の経験や人脈だけでは大きなことを成し遂げるのは難しいです。だからこそ、現在、桶川のために尽力されている皆さんと力を合わせていきたいと思うようになりました。そんな中、意見の相違や、「そんなの絵に描いた餅だ」ってバカにされることもあるかもしれません。でも、それでも地域の声を発信していきたいです。そこで自分が間違っていたと気づくこともあるかもしれませんし、自分の勉強不足、努力不足に気づくことや、地域の皆さんに市の想いを伝えることもできると思います。地域の声にこたえる事や一歩一歩前進していくこと、まちづくりが進んでいく、そう信じています。
誰かのための街づくりではなく みんなの街づくりでありたい
川の流れは右に左に流れを変え、まんべんなく広がっていくものです。街づくりも同様、誰かのためだけではなく、みんながまんべんなく「住みよい、良い街になったな」と感じられるようになるべきものだと考えます。
子供に向けた街づくりは同時に親御さんにとっても良い街づくりになるでしょうし、お年寄りに優しい街はその子、そして孫の世代にも優しくなります。
全体を見渡した上で、何が足りて、何が不足しているかを冷静に感じ取り、偏ったり隔たったりしないような街づくりをしていけたらいいな、と考えています。
市民に向けた改善が、桶川に居を構える企業にも、それから桶川で農業に携わる人にも、桶川で商売をされている商店、飲食店などにもつながることを目指していきたいと考えています。
私は建築以外の仕事には正直疎いところがあります。だからこそいろんな仕事をしている皆様の声を聞き、お年寄りの不便さ、子供たちの不安や心配事、そして、これから増えていくだろう外国人の方々の率直な意見にも耳を傾け、格差のない、みんながみんな、安心して暮らせる街づくりをしていけたらいいな、と考えています。